初公開!10地区南北28kmの馬瀬を上から見てみた

04/17/2017下呂市馬瀬

午前中は暖かく良い天気でしたので、地区内散策してきました。今日はどこに行ってきたかというと…とその前に。

そろそろ皆さんも馬瀬全体の地理が気になってきた頃でしょうかね(←勝手な憶測)。

西村だの川上だのどの辺にあるか想像つかないと思うのでご紹介します。

下呂市役所 馬瀬振興事務所

例を一つ取ってみましょう。

僕の基本的な勤務地はここですが、住所は岐阜県下呂市馬瀬名丸406番地になります。

つまり中部地方の岐阜県、そしてそのまた真ん中あたりの下呂市、その下呂市の北西部になります。

馬瀬そのものの位置はこちらの記事に載せています。

この”名丸”というのが西村のような集落の名前にあたります。

七里十里

これどういう意味かわかります?

南北7里(約28km)の間に10個の集落があるということです。

下図をご覧下さい。自前で作りました笑

馬瀬全図

馬瀬川流域にある川上(かおれ)、黒石、数河(すごう)、中切、堀之内、荻原、名丸、井谷、惣島、西村の10個の集落です。

一番下の下山は無住区なので集落として数えないということでしょう。

川上が最北端、西村が最南端ですね。振興事務所は名丸にあるので、ちょうど真ん中になります。

ちなみに川上、西村については過去に触れていますのでぜひ読んでみて下さい!

川上地区の記事。

西村地区の記事。

ところでこの十里、元々はそれぞれ一つの村だったのです…!

旧馬瀬村の変遷

平成の大合併だの聞いたことありますよね?馬瀬も大いにその影響を受けてきました。

江戸時代末期、飛騨高山藩の領地から天領となりました。

そして江戸幕府滅亡後から1875年(明治8年)に合併して馬瀬村となるまでは川上、黒石、数河、中切、堀之内、荻原、名丸、井谷、惣島、西村、下山は一つの村でした。

1884年(明治17年) には川上、黒石、数河、中切、堀之内、荻原、名丸は上馬瀬村そして井谷、惣島、西村、下山は下馬瀬村にそれぞれ分割されました。

1889年(明治22年)上馬瀬村、下馬瀬村が合併され馬瀬村に戻り、その後2004年に下呂市に合併されるまで続きました。

ちなみに馬瀬全体で約100㎢ありまして、これは東京ドームだいたい2100個分に等しいです(わかりづらい)。

まとめ

七里十里:南北7里に10個の集落を示す。

それぞれの集落は元々一つの村であった。

1875年に馬瀬村成立、以後約130年間存続。

それぞれの地区単独紹介記事も書いていきたいですね〜。