己に正直であれば人生はなるようになる-人事を尽くして天命を待つ

せこの生き様

どうも連日チャリばかり漕いでいる世古です。ツアーを始めて1年目ながらここまでゲストが来てくれることに日々感謝しております。

人事を尽くして天命を待つ

さて、最近ホスピタリティに関する本をよく読んでいるのですが、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉をよく目にします。

意味を辞典で調べてみると次のように出てきます。

自分の全力をかけて努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、そんな結果になろうとも悔いはないという心境のたとえ。

人事を尽くして天命を待つ – 故事ことわざ辞典

努力は自分でいくらでもできるけど、結果はどうにもならないことがある。天・神が決めることなのだから。

100%努力してその結果が良くなかろうといいじゃないか、みたいな意味合いにも見えます。僕の読んだ本の中ではどちらかというとプラスの意味合いで使われていました。

Do the likeliest, and God will do the best

英語ではこう言うそうです。『Do the likeliest, and God will do the best.』

意味は「最も適切な行為をなせ、そうすれば神が最善の結果をもたらしてくれる」となります。

いかにもプラスの解釈ですよね。努力をし続けていれば、きっと神が良い結果をもたらしてくれるだろう。

本の中では「日々自分を磨く努力をしていなさい。そうしていれば自分にバトンが回ってきたとき最高の結果を手にすることができる。そのバトンは誰にも等しく回ってくる」というような感じでした。

サッカーの練習・試合と一緒ですよね。日頃努力している選手はいざ土壇場で交代してピッチに立ってもゴールを決められるかもしれない。そして次の試合でスタメンを勝ち取れるかもしれない。

のほほんとしている選手はそういう機会が来ても結果を出せず、その後ものほほんと選手生活を過ごすことでしょう。

人事を尽くすべくして尽くし天命を待つべくして待つ

さてここで自分は「人事を尽くして天命を待つ」ことが出来ているのか考えてみました。

YESとは言えないのが正直なところです。周りからはそう見えるかもしれなくても、自分は胸を張ってそうだとは言えないですね。

ただふとこのことわざは僕にとっては少し違うかもしれない、と思いました。

それがタイトルにある「人事を尽くすべくして尽くし天命を待つべくして待つ」です。

「人事を尽くして天命を待つ」と何が違うのかと言うと、簡単に言うと「なるべくしてなる」ということです。

今の自分を創り上げたもの

最近の出来事から少しさかのぼってみましょう。つい先週土曜日中日新聞にバイクツアーの模様を掲載して頂きました。

載った理由は色々あると思います。中日新聞が町おこしの活動を取り上げたいと思っていたところに、ちょうど下呂市の馬瀬というところで何やら東京出身の若者が外国人向けにバイクツアーをやっていたと。

はたまた載せる記事がなくて困っていたからかもしれません。←失礼

ただ何にせよ新聞に載った結果は事実であり、それは僕がバイクツアーを実際に外国人に提供しているという過程があったからに違いありません。

ではなぜ僕はそんなことをやっているのか?まあその理由も色々ありますね笑←笑うな

ただ外国人と話すのが好きという単純な理由から、新しい生き方を見つけたい・創りたいという高尚な理由まで。挙げたらキリがありません。

ではまた深掘りして。なぜそういった理由が出てきたのか?なぜそういう風に考えるようになったのか?

その答えはもう、そういう人生を歩んできたからとしか言いようがありません。

これまでの人生の中で外国人と話すことが好きになるキッカケがあり、そのキッカケを作ったことにも何らかのアクションや出来事があったはずです。

そうなると「なるべくしてなった」という解釈ができませんか?

もちろん「〇〇がやりたいから△△へ行く」とか自分の望み通りに行動することはあります。

でも「〇〇がやりたい」と思ったのは何らかのキッカケや出来事があったからこそでしょう。それは自分で望んだものでも予期したものでもなかったかもしれません。

そう、「なるべくしてなった」わけです。

誰もが「なるべくしてなる」わけではない

とはいえ「〇〇がやりたいから△△へ行く」という単純なことができないこともあります。

「ステーキが食べたいからブロンコビリーに行く」これは少しのお金と移動手段さえあれば誰でも出来ますね。

では「町おこしがしたいから馬瀬へ行く」これは誰でもできることなのでしょうか?もちろん能力的な意味でではないです。僕が特段何かの能力に長けているわけでもないですし。

こういった決断にはきっと何か障壁となることがあるはずです。それは自分でどうにかできるものかもしれないし、できないものかもしれません。

社会人だったら社内や社外への責任、もしくは高待遇を手放すことへの不安。学生だったら両親や先生が引き止めるかもしれません。

自分の説得次第でどうにかできるかもしれませんが、そうならないことも多いでしょう。それに何より、自分がそこまでしてその決断をしたいと本気で思えているのかも重要です。

僕は人事を尽くすべくして尽くし天命を待つべくして待ってきた

僕の場合幸い「自分が楽観主義であること」「身の回りに破天荒な友人がいた」「世古家の教育方針がフリーダム」など色んな好環境にあったわけで、実際今地元東京から遠く離れた地で町おこし兼自立のための外国人向けツアーをやっているわけです。

ではこの好環境はどのようにして作られたのか?一言で答えるのは難しいですが、確かなことが一つあります。

この環境は「自分で作り上げたものではない」ということです。「なるべくしてなった」結果なのです。

少なくとも自分が望んで実現した環境ではないですよね。気づいたらこういう環境が出来ていたんです。

ただそれは過去の自分の行動や発言、決断や選択によって自然に形作られてきたものなのでしょう。

つまり、「なるべくしてなった」のです。

己に正直であれ

「人事を尽くして天命を待つ」その言葉には色々な解釈があるかもしれませんが、少なくとも僕には「人事を尽くすべくして尽くし天命を待つべくして待つ」の方がしっくりきますね。

でも2つに共通しているのは、その過程においてとにかく自分に正直になること。

別にそれは自己研鑽とか一生懸命に努力を惜しまないとかそういうことではありません。

自分のなりたい・やりたいベクトルに向かっているという感覚を持ちながら日々過ごすことです。

その延長線上に資格試験への勉強や読書といった自己研鑽の時間があるかもしれませんし、はたまたアニメに興じる時間もあるかもしれません。

大切なのは自分と真っ向から向き合い、自らの思いの向くままに行動していくことです。

そうしていればきっと天が自分にとって良い結果をもたらしてくれるはずです。

他の人には到底理解のできないことでも、自分にとって最高の結果でいいのです。それこそ自分のための、自分だけの人生なのですから。

僕はこれからも己に正直に、人事を尽くすべくして尽くし天命を待つべくして待ちたいと思います。