「祖母と生き、23歳で死を選んだ孫。二人を撮った写真家は思う」の記事を読んで
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今誰のために、何をして生きているか?
この質問にハッキリと即答できる人って本当に素晴らしいなと思います。
今日Facebookでたまたま見つけた記事に心を打たれて何度も読み返した結果、この質問が頭によぎりました。
お時間ある方はぜひ読んでみて下さい。とても大切なことに気付けるかもしれません。
突然の不幸は誰にだって訪れる
自分がいつ死ぬかなんて本当に誰にもわかりません。
明日?1年後?10年後?それは年齢も性別も関係ないはずです。もちろん末期の病気持ちの方の場合は何ヶ月後とか予測は立ちます。
ただ大半の人は自分や家族、友達がいつ亡くなるかなんて分からないし中には考えたことさえない人もいるかもしれません。
80歳というのはあくまで寿命。上に紹介した記事の中には突然の行方不明と死があるし、現に殺害や自殺、事故といったニュースは毎日見ます。
自分は事故らない、うちは大丈夫でしょうとか思っていても突然自分や知人が亡くなってしまう可能性はゼロではありません。
死について考えるようになった2つのキッカケ
僕がそういうことを考えるようになったのはほんの1年前くらいからで、そこには2つの理由があります。
実家を出たこと
1年前に何があったかというと、社会人になって町田の実家を出ました。
何となく予測はしていましたが、実際に自分で働いて家事をこなして生活をするというのは中々難しいものです。
なによりずっと一緒に暮らし続けていると"親のありがたみ"とか"家族愛"ってものは気付きにくくなりますね。
失ってはいないけど「失って初めて気付く大切さ」のような感覚を持てました。
医療系の海外ドラマ
また最初はほんの英語のリスニング力強化のために始めた海外ドラマも関係しています。
“グレイズアナトミー"というアメリカの超人気医療系ドラマ。
現在シーズン13絶賛放送中です。Huluでシーズン10まで見られますよ。
医療系ドラマということで生死に関する話題は毎話出てくるわけです。
それを見ているうちに明日誰かが亡くなるかもしれないとか自分がもしこの状況にあったらどれだけ悲しく苦しいものなのかと思い始めました。
つまり実家を出たからこそ分かった家族や身内の大切さとそれらを突然失う可能性が自分にもあることをここ1年間の間で考えるようになったのです。
もちろんそれは家族だけでなく、友人や知人にも当てはまります。
今誰のために、何をして生きているか?
紹介した記事を読んでここ最近そういった身近な人の死や彼らを大切にしなければならないという感覚を忘れていたことに気付きました。
もちろん昨日両親、祖父母と久しぶりに会ったということも関係していると思います。
僕は東京から下呂市馬瀬へ地域おこし協力隊としてやって来ました。
制度上も僕の本心からもそうですが、地域を元気にする、地域の人の役に立つといったことをテーマに日々活動しています。
実際はまだ何も成せていないという現状はありますが、今日伝えたいことはそういうわけではありません。
地域おこし協力隊だろうが会社員だろうが、仕事や年齢問わず
今誰のために、何をして生きているか?
というこの質問は毎日自分自身に問いかけても損はないと思います。
万が一、その問いの中の"誰"にあたる部分の人が突然の最後を迎えても、その問いに対して自分が自信を持って答えられようものならばその人を失って自分に悔いることはないと考えるためです。
もちろん自分にとってその日が最後となったとしても同じことでしょう。
僕の場合、馬瀬や地域の人のために活動して生きるというのが中心になりますが、
改めて自分が大切にしたい家族や友人のためにも何かしらの行動をしていこうと思います。
具体的に何をするのかについてはどちらも毎日自分に問いかけることにします。
おわりに
大切な人を失ったことへの悲しみをゼロにすることは無理でしょうが、その人を失ったことで自分の過去の行動に後悔はしたくないです。
「毎日の練習を本番と思え」という高校の部活で顧問の先生によく聞かされた言葉とも通ずるところがあるかもしれません。
全てにおいて永遠はなく限りがあるからこそ日々の幸せを噛み締めるべきだし、その恩に報いるべきだと思います。
今誰のために、何をして生きているか?という質問を自分に問いかけて答えがハッキリと出てこない方は深く考えてみて下さい。
この記事があなたの大切な何かに気付くキッカケとなったら嬉しいです。